テーマ:「分かる」とはどういうことか?
哲学について書かれた本を読んでいて、自分としては一生懸命理解しようと努めているのだけど、一体何が書いてあるのか一向に分からない、という思いをされ
た方は大勢いらっしゃると思います。 なぜ哲学は分かりにくいのでしょう? 哲学だけでなく、数学だけはどうしても分からないとか、人にモノを教えていて、こんなことぐらいがなぜ分からないんだと言いたくなったりすることもあります。 理解するのが早い人と遅い人もいます。 なぜ、分かる人と分からない人がいるのでしょう? 「分かる」とはどういうことなのでしょう? スポンサーサイト
孜さんの回答
これは「分かる」とはどういうことか?の回答です。
各自が、その事物に対して、理解出来る事、理解出来ない事、不明な事、等が明確にされている状態を「分かる」と考えています。(私見ですが。) 以上が混沌としており、なんとなく、他者の物まねでしている状態は、分からないまま行動していると思います。 ですから、分からない人は、分かろうと努力しないのではと思います。 もちろん、分かったからと言っても、その事物が出来るか、出来ないかは、理解しているか、理解していないかは、別問題ですが。(笑) なぜ、このようなことを書くと言えば、完全に理解していると考えている事物は、小生には皆無だからです。 理解したと思っても、次なる疑問が生まれるのが現状ですから。(笑) しかし、まずは、事物を各自也に、分かろうとしないかぎり、考察とか、哲学的対話等は無理に思います。 まずは、各自が分かる範囲の言葉で対話する事が大切ではないでしょうか。 では、本日は、この辺にて。 孜拝 百歩さんの回答
これは「分かる」とはどういうことか?の回答です。
哲学について書かれた本を読んでいて、自分としては一生懸命理解しようと努めているのだけど、一体何が書いてあるのか一向に分からない、という思いをされた方は大勢いらっしゃると思います。 哲学がわかりずらいのではなく、人間のほうが、哲学はわかりずらい。と考えているのかもしれない。 わかりやすいから、わかりずらいから、という理由で哲学をするのは哲学とは違う。 わかろうがわかるまいが、やってしまうことが哲学だ。 哲学だけでなく、数学だけはどうしても分からないとか、人にモノを教えていて、こんなことぐらいがなぜ分からないんだと言いたくなったりすることもあります。 今、わからないだけで、将来、分かる日が来るかもしれない。 今、わかったことも、明日にはすっかり忘れているかもしれない。 生きている間に、わかることは、わからないことよりも遥かに少ない。 分かる人と分からない人がいるのは、人がいるから。 「分かる」とはどういうことなのでしょう? 『わかった!』と言ってあげること(笑い) 野狐禅さんの回答
これは「分かる」とはどういうことか?の回答です。
「分かる、分からない」とは「想像できる、想像できない」ということだと思います。「なるほど、分かった!」と言うとき、私の中にどのような変化が起きたのか。それは、今まで想像できなかったことが、想像できたから「分かった」のです。 「分かりやすく絵で説明する」というように、なるべく想像しやすいように説明されると分かりやすいものです。また、「君の話は分かりにくい」というように、話の流れがポンポン飛んだり、専門用語を多用されると、話の内容を想像しにくくなります。 哲学について書かれた本の多くが分かりにくいのは、それが我が身のものとして想像しにくいからではないでしょうか。日常のありふれた出来事を事例に出しながら説明された哲学の本ならば、きっと「なるほど、そういうことか」とうなずけると思います。 理解するのが早い人と遅い人の差は、想像力の差、あるいは、想像力の下地となる経験の差ではないでしょうか。 まったくコンピュータに触ったことのない未開人には、CD-ROMの使い方は到底分からないでしょう。初めて見る物体で類似の経験がないからです。 しかし、CD-ROMは使ったことはないが、音楽CDなら使ったことのある人という人ならば、少し頭を使えばCDをドライブのトレイに入れることは想像できることと思います。 呟き尾形さんの回答
これは「分かる」とはどういうことか?の回答です。
まず、分かるという状態はどういうことか? ということから進めたいと思います。 私たちが「分かった!」とおもえるとき、それは、 「(これまで)はっきりしなかったことが明らかになる」 ということです。 では、はっきりしないことというのは、どういうことかと言うと、その人の中で、対象が真か偽かの判断ができない場合です。 数学において難解な公式がでたとき、分からないとするのは、変数が何を示唆するのか判断がつかないばあいだったり、目の前の数式が何を意味するのか、 はっきりしないのです。 つまり、数学によって取り決められた記号の意味がはっきり見出せなかった。 ということが、はっきりしない、つまり分からないと言う事になります。 (学問としての)哲学も同様です。 間違えなく、目の前には言葉と言う、私たちが使っているであろう言語であっても、書かれている形式や単語の意味が、日常的なものと異なれば、それは意味不明のものになります。 つまり、哲学用語や哲学的な表記という哲学によって取り決められた記号の意味がはっきりと見出せなかったと言う事になります。 つまり、はっきりしないことと言うのは、見聞きなどによって、知覚された記号からは、はっきりとした意味が見出せないことだといえます。 そして、その記号の意味が何らかの手段によってはっきりする事によって 「分かった!」という状態になるのだということです。 哲学や数学が分かりにくい。 というのは、分かりにくいと感じている人の認識方法と、哲学や数学の表記法方が不一致だからだと言えるでしょう。 そして、哲学や数学を分かりやすいと感じている人の認識方法と、哲学や数学の表記法方が一致しているからだ。と言う事になります。 |
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追記
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