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テーマ:人は美を判断するのか、それとも感知するのか?

人は美を判断するのか、それとも感知するのか?

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ウェルダン穂積さんの回答

これは人は美を判断するのか、それとも感知するのか?の回答です。

美とは判断するものだけど
美を愛するものは
美を感知したと 「詩的表現」 をすると思う。

愛した人を 運命の人と 思いたくなるように

美は 美へと 逃げ
いつしか 真実を見失わせる 害悪となる。

呟き尾形さんの回答

これは人は美を判断するのか、それとも感知するのか?の回答です。

 みなてつメンバーの呟き尾形です。

 まず、判断と感知の違いについて考察します。

 判断とは、対象となる物事を理解し、考えを決めることです。
 それに対して、感知とは、感じることであり、気づく事です。

 一見すると、美が感知されなければ、「美」を「美」とは認識できないと考えられます。

 しかし、私たちの「美」を認識するメカニズムは、感知されるものではなく、美を判断するものです。
 なぜなら、人は、何かを認識するためには、感知された情報を判断しなければいけないからです。

 さらに言うなら、「美」は感知されるのでありません。
 対象を感じ、気づくためには、判断のプロセスが必要不可欠であり、「美」が「美」である根拠は、直観(直感ではありません)によるもののみです。
 つまり、「美」は直観することはあっても、(判断なしに)感知はされません。
 
 私たちが「美」を感知すると錯覚するのは、「判断」のプロセスがあることに気がつかないからです。
 感知は、判断のプロセスがなければ、「美」は、感知も直感もできません。
 ありえない話ではありますが、もし、感知だけであるなら、情報が入ってくるだけで思考処理がなされません。

 対象の「美」を認識するためには、対象となる「美」を直観を根拠に、対象の「美」を理解し、それを考えて対象の「美」が、自分の「美」の基準と照らし合わせ、それが一致していると”判断”しているからです。

 結論、「美」は感知される事はい。
 しかし、「美」は判断なしに認識はされない。
 ゆえに、「美」は判断されるものである。

野狐禅さんの回答

これは人は美を判断するのか、それとも感知するのか?の回答です。

この問いが言わんとしていることは、そのモノ(例えば絵画)自体に「美」というものが備わっており、私たちはそれを感じ取って「美しい」と思うのか、あるいは、その対象の色や大きさ、質感などを総合的に勘案した結果「美しい」と結論を出すのか、ということを問うているのではないでしょうか。

まずはっきりさせておくことは、例えば「色」のことを言った場合、モノ自体に色はないということです。
なぜ色が見えるのかと言えば、光がモノに当たったとき、ある波長は吸収し、ある波長は反射させるからだそうです。つまり、モノ自体に色がついているのではなく、反射された波長を視細胞が像として映し出すということになります。もっと言えば、人間は「鮮やかな赤」として認識するが、他の動物はモノクロに見ているかもしれません。

では、そのようにして細胞が作りだした像をもとに、私たちは美を「判断」するのでしょうか?
僕は「判断」と呼ぶような理性的なものではなく、簡単に言えば「好き嫌い」だと考えています。

美しいから美しいのではなく、美しい要素があるから美しいのでもなく、「好きだから美しい」のではないかということです。
一般的に見てブサイクな女の子を、美しいと思う男の子がいます。その娘がもともと美しいのではなく、好きだから美しいのです。
主観とはそのようなものだと考えています。


では、好き嫌いの正体とは何か?となるのですが、長い間そのことを考えましたが、まだ結論にまで至っていません。
本能的、遺伝子的に生きるための有利、不利を考えてのことなのか、経験によるものなのか、よく見慣れているものは安心できて、見慣れないものには不安を感じるからなのか(自然界の配色)、それはわかりません。

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「てつがく一問多答」は、当メーリングリストで取り上げられた哲学的なテーマに対して、参加者が回答を寄せたものです。

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