てつがく一問多答

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テーマ:心は科学ができるのか?

 心は科学できるか? という問いは、日本語的に正しくなさそうなので、言い方を変えてみます。
 心は科学的に分析可能か?
 という意味で質問してみました。

 心って、みんな、自分のは”ある”と自覚しているんでしょうけれど、他人の心が”ある”といえるかどうか、私は確認できません。
 心はあくまで主観的な現象だといわざるを得ないのでしょうが、みんな持っているのであろうということは、客観化できそうなものです。
 それでは、主観的な現象である心を科学的な分析できるものなのでしょうか?

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テーマ:世界は決定論か非決定論か

 まず、決定論といいますのは、この世の諸現象(人の意思も含む)は、すべて因果法則によって決定されており、どんな結果も、外的な原因(神・自然・因果性・社会関係など)によって究極的に規定されている。
 という考え方です。

 それに対して、非決定論とは、人の意思は、いかなる原因にも支配されずに、主体的に地震により決定される。
 という考え方です。

 さてさて、みなさんは、どちらだと思いますか?

テーマ:『希望』とは何か?

ういーっす。今日はお暑つ~ございます。百歩っす。

昨日(2005年7月27日)の日経新聞の夕刊『フォーカス』で、東京大学助教授 玄田 有史氏が「希望学」を立ち上げたという記事がありました。

で、俺は先生に手紙を出し、参加させていただこうと思っていますが、その前に、みなさんに質問です。

『希望』とは何か?

呟き尾形さんの回答

これは『希望』とは何か?の回答です。

 みなてつメンバーの呟き尾形と申します。

 まず、私たちが希望を持つとき、それは何かを信じているときです。
 信じる心なくして、希望は持てません。

 信じるものが何かは、決まってはいません。自分の未来に対する能力の可能性かもしれません。
 社会かもしれません。道徳かもしれません。宗教かもしれません。

 信じる対象がなにであれ、私たちは、希望を持っているとき共通しているのは、思い描いた理想を、目標とし、祈っているときです。

 もちろん、ここで言う祈りとは、虫のいい心根とされ、他力本願的なイメージがあります。
 しかし、もちろん、それは俗化したイメージでであり、そいう意味ではありません。

 ここで言う祈りとは祈願のことであり、信じる存在にたいして、願うことであり、望みを信じる存在に託すということです。
 
 私達は、他者に対して、ものを頼むとき、頼まれるとき、頼む側の方が何らかの形で見返りなり、お返しなりを渡します。
 信じる存在に対して、私達はどんな見返りを渡せるのでしょうか?
 それは、神仏を信じることであると同時に、まさに、信じる対象に、対して必ず実現させるという決意を示すことであるといえるでしょう。

 それは、信じているからこそもてるものであり、思い描いた理想を、目標とし、祈っていることこそが、希望であるといえるでしょう。

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「てつがく一問多答」は、当メーリングリストで取り上げられた哲学的なテーマに対して、参加者が回答を寄せたものです。

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